諸田コウ はじめに・1999年5月7日のこと。

1999年5月7日。ある天才ベーシストがその生涯を閉じました。
諸田コウ。享年36才。あまりに早すぎる死でした。
卓越したテクニックとセンス、フレットレスベースによるユニークなサウンド。
ステージ上で見せる強烈な個性、そしてそれとは裏腹なあまりにも繊細な人間としての一面。
僕はふとしたことで諸田の親友でありDOOM時代からの長年の相棒であるドラマーの廣川錠一(J.J.JACK.JOE)と知り合いました。
それをきっかけに、彼らが結成した新バンド「えがおドラミ」のライブに行き、そこで僕ははじめて廣川と諸田のコンビネーションから生まれるサウンドに触れたのです。彼らの作り出す音は、言葉を超えて直接胸の奥深くに突き刺さってくるような、力強く、なのに何故かどこか心が安らぐような不思議なものでした。
そして、それは僕が長い間忘れていた本当の音楽でした。

諸田コウは伝説のロックバンド「DOOM」のベーシストであり、そのテクニックとセンスは多くの人が認めるところでした。
しかし、僕が知る限りでは、彼の遺した音楽的な記録は、残念なことにどこにも体系的にまとめられていないのです。
彼が遺した素晴らしい音楽を、このまま歴史の中に埋もれさせてしまうのはあまりに残念です。僕は彼が残してくれた音楽へのささやかなお礼として、このWEB SITEを作ろうと思いました。

つたない内容ですが、もしこれを見て諸田の音楽に興味を持ってくれる人がひとりでもいれば、とてもうれしいことです。そのために、できる限り現在入手可能な音源についてはそのデータを記しました。情報はできる限り正確を期しましたが、僕の知っている情報はほんのわずかなものです。もし、誤りや、新しい情報があればお寄せください。

また、ドラマーとして最後まで諸田の最高のパートナーであり続けた廣川錠一の今後の活動をこのSITEを通して、僕は見ていきたいと思います。
「えがおドラミ」のライブではじめて体験した彼のドラムの音は、僕にとって一種の衝撃でした。DOOMという伝説化されたハードロックバンドのドラマーというイメージから想像されるサウンドとは全く異なる、「美しい」ドラムサウンドがそこにあったのです。
ドラムの音が美しい、と感じたのは長い間いろいろなライブを見てきた中で、はじめての経験でした。胸の奥深くにまっすぐに届くような音、とでも言えばいいのでしょうか。
諸田コウというかけがえのない親友であり、パートナーを失った彼が、これからどんな音楽活動をしていくのか。僕にはとても興味があります。
諸田コウのベースに縛られることのなくなった彼は、どこに向かうのだろう。
「えがおドラミのあしたはどっちだ!」ページにて。随時更新予定です。

) 僕と諸田は、人生のある一時期、音楽を通してほんの一瞬すれ違っただけの間柄でした。言葉を交わしたのはたった2回だけでした。
できることなら、僕はもっともっと彼の音楽を聴きたかった。
彼がこれからどんな風に生きていくのか、見ていたかった。
あまりにも、早すぎる。それが、僕にはとても悔しいのです。

人はまるで、小さな船に乗って川を下る旅人のようなものだ。僕はそんな風に思います。どこにいこうと、なにをしようと、最終的には時という大きな川の流れにのって流れて行くだけなのではないか、と。
だとすれば、きっとたどり着くところは大きく、しずかな海のようなところなのでしょう。
そこで、僕らは再び出会うのかもしれません。
もし、死が全ての終わりではないのであれば。

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